パパ韓国出張【JSA観光編】(5/19)

パパ韓国出張【JSA観光編】(5/19)

JSA観光に行ってきました
JSAとはJoint Security Areaの略で共同警備区域と言い
韓国と北朝鮮の軍事境界線(38度線)の
板門店の約800m四方の地域を指す
1976年のポプラ事件以降はお互いに軍事境界線を越える
事は許されず共同では無く分断警備となっている

 

ツアーの始まりは
このロッテホテル
現地で直接手配すると
定員オーバーで断られた
iPhoneで日本のサイトから
手配かけるとあっさり
予約できましたブイッ(^。^)v

6階の国際文化サービスクラブ
ここで受付と支払い
パスポートチェックがあります

2階のフロアに降りると
日本人だらけ

ツアークーポン
78000ウォン
5500円ぐらい
バスの車番と座席番号が
指定されていました

この茶色いバスです

PANMUNJOM
パンムンジョム
板門店のことです

トイレ休憩に立ち寄った場所
とにかく人が多い
皆どこ行くの?

北朝鮮が近づくと
川沿いは有刺鉄線で
完全に進入できないように
警備されています

統一大橋検問(身元確認)
この検問所の先は
民間人統制区域内
パスポートが必要です

キャンプボニバス
国連軍の基地です
ここで一人ずつ
パスポートチェックと
着衣が北朝鮮を挑発する
ものでないかどうか
確認されます

更に関所を通過
国連軍といっても
今はほぼアメリカ軍です

DMZ内に入ります
DMZとは軍事境界線を中心に
南北に2キロ幅ずつと定められた
非武装地帯のことです
現在は非武装ではなく
武装しています

JSAビジターセンターで
バスを降ります
国連軍と記念撮影
観光客は20人4組あり
バス2台で来ました
全て日本人でした

このJSAビジターセンターで
スライド学習と
これからの注意事項を聞きました
それで渡された宣言書

いきなり
板門店共同警備への訪問は
敵性地域への立ち入りを意味し
敵の行動によっては危害を受ける
又は死亡する可能性があります
なんて脅してやがる
お〜コワ〜(^。^;)
でもサインしたヨ

ここからは国連軍の
正式ゲストとなる
その証に国連のバッチを
見える場所に付けて
おかなくてはいけない

ここからは国連軍のバスに
乗り換えて板門店に向かいます
運転手は韓国軍でした

自由の家到着
ここでバスを降ります
この中の階段で2列縦隊をつくり
外に出たらこの列を守るように
注意されました

板門店本会談場前です
2列縦隊のまま止まり
左向いて2列横隊になりました
この体勢で写真撮影するように
注意されました

向こうは北朝鮮の建物です
北朝鮮兵士が双眼鏡でこちらを
うかがっています

1984年11月北朝鮮側の
板門店ツアーに来ていた
ソ連の学生が軍事境界線を
超えて韓国側に亡命してきた

その大学生を追って北朝鮮軍も
軍事境界線を越えてしまい
国連軍が攻撃
両者は衝突し韓国軍兵士1名と
北朝鮮人民軍兵士3名が死亡した

韓国軍が北朝鮮側を
警戒しています
右の人は半身隠しています

この高さ10cmぐらいの
コンクリートが
軍事境界線
土が北朝鮮側
砂利が韓国側

国連軍(米軍)も
付き添ってくれます

本会議場ををバックに
記念撮影

なーんてこんなところで
こんな写真は撮れないそうです
危険危険!!
これはJSAビジターセンターで
撮影した写真との合成になります
ツアー企画側が合成写真
作ってくれました
20000ウォンで買取だけどね(^^)

本会議場に入りました
左に韓国軍が警備しています
ピクリとも動きません
観光客の左から2人目と
3人目の間に青い国連の
旗があり軍事境界線の
上に立っております
という事は旗の向こう側に
いる我々は北朝鮮側に
入っている事になります
\(^o^)/

ほら軍事境界線の
土の北朝鮮側です
5〜6m入っています

北朝鮮から更に奥を撮影
まあまあ綺麗に
舗装されています
北朝鮮人民兵士は出ていません

このテーブルの
この国連の旗が
軍事境界線
統一を目指しているのか
国として認めていないのか
国境とは言わないそうです

窓の外にコンクリートの
境界線が見えます

この本会議場は北朝鮮側
からも入室できます
突然入ってこないように
北朝鮮側の扉の前で
韓国軍が守ってくれています

韓国軍に話しかけたり
後ろを通過したりは
できませんが
自由に写真は取れます
ちなみにカメラは
90mm以上のものはダメです
ただし90mmというのは
焦点距離ではなく
実際のレンズ外径のことらしい

韓国軍と同じく
境界線に立ってみた
左足が韓国
右足は北朝鮮
子供みたいな事してしまった

最後に本会議場の前を
バスで通過した

バス2台の前には
国連軍のジープが
先導してくれます

ポプラ事件の
ポプラの木があったところです
ポプラ事件とは
共同警備していた頃北朝鮮側の
監視所に囲まれた位置にあった
国連軍側の監視所がポプラの木に
よって他の国連軍側の監視所から
見えなくなり剪定を行おうと
したところ北朝鮮側兵士が
剪定用の斧を奪って
国連軍の兵士2名が殺害された
その後大掛かりな軍事作戦で
ポプラの木は伐採された
その後北朝鮮側の提案により
軍事境界線が引かれた

帰らざる橋前にある
監視所

帰らざる橋
軍事境界線となっている
沙川江に架かっている
本来の名は沙川橋
停戦後の捕虜交換が
この橋で行われた
捕虜たちがこの橋の上で
南北いずれかの方向を
選択すると二度と帰って
来ることができないことから
「帰らざる橋」と
呼ばれるようになった

この橋の向こうは北朝鮮です

JSAビジターセンターに
戻ってきました

お土産屋が隣接しています
やっぱり観光地?(@_@;)

迷彩服売ってるが
迷彩服での板門店訪問は
NGとなっていました

北朝鮮のお酒売ってました

北朝鮮のお金もありました
100ウォンを5000ウォンで
売ってた(350円ぐらい)
買ってしまった(;^_^A

民間人統制区域内も出て
一般区域に戻ってきました
臨津閣(イムジンガク)です

有刺鉄線向こうは
民間人統制区域内です
建物から銃口が外に
向いているのが見えます

自由の橋
1953年に休戦協定が結ばれた後
捕虜1万3000人余りが橋を渡る際
「自由万歳」と叫んだことから
自由の橋と呼ばれるようになった

この先は民間人統制区域内で
入る事ができず「南北統一」を
祈念する皆様方の布が
貼り付けられている

走行中に爆撃を受け
1,020という弾痕まみれに
なったまま50年という歳月を
現在の非武装地帯で
過ごしていたという機関車です
2004年に錆を取り除いて
現在の展示となったそうです

韓国最北端の都羅山駅から
列車が戻ってきました

このツアーには
昼食が付いています
このお店にバス2台で
ご入店

プルコギ食べました
量は少ないし
ひとりだと食べるのも
早くその後が長い
入口にある甘い
無料コーヒー飲みながら
ひたすら皆を待った

やっとロッテに戻ってきた
今夜が韓国ラスト
お土産をロッテ百貨店で
全て購入(^ー^)v

夕飯はロッテの
レストラン街で
とんかつとうどん



JSAツアーはおしまい・・・しかし夜はまだ続く・・・